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Posted by おてもやん at

2013年05月11日

有意義だったゴールデンウィーク2!

こんばんはエヘッふくえん熊本 平田です!

今日は仕事が昼までで配達などで出かけたので事務所でブログがアップ
出来なく夜になっちゃいましたがアップしたいと思いますUP

有意義だったゴールデンウィーク第二弾!!

勿論、娘と一緒に歴史巡りピカッ
熊本人として誇れる幕末の思想家”横井小楠”
熊本城と本丸御殿を建築した”加藤清正”
この二人の歴史を辿ってみました。

まずは「横井小楠記念館・四時軒」を紹介したいと思います!!


幕末維新の開明思想家として知られる横井小楠の旧居。
内坪井(現在の熊本市坪井)に生まれ、安政2(1855)年に沼山津に移り住んだ小楠は、
家塾「四時軒」を開き、多くの門弟を養成しました。
かの坂本龍馬(さかもとりょうま)や「五か条の御誓文」を起草した
由利公正(ゆりきみまさ)、「教育勅語」の起草に尽力した元田永孚(もとだながざね)、
「大日本帝国憲法」の草案をつくった井上毅(いのうえこわし)らも
この「四時軒」を訪れています。「四時軒」の隣りには横井小楠記念館が建てられており、
小楠に関する資料のほか、勝海舟(かつかいしゅう)や吉田松陰(よしだしょういん)、
西郷隆盛(さいごうたかもり)などの、小楠にゆかりのある人々の書も展示されています。
また、「四時軒」から北東方向へ10分ほど歩いたところに、
小楠の銅像や頌徳碑(小楠の徳をたたえる碑)などが建てられている小楠公園もあります。



「国家は富むだけではいけない、また軍備を増強するだけでもいけない。地球上で一番大切なのは、お互いにその立場を認め合い、お互いがお互いをゆるす寛容の心がなければならない」と小楠は説いた。

「おれは、今まで天下で恐ろしいものを二人みた。それは横井小楠と西郷南州だ。」(勝海舟「氷川清話」より)
この言葉は有名ですよね肯く
坂本竜馬は三回この四時軒を訪れ横井小楠と対談してたそうです。
まさに歴史の人物ですねラブ


次に加藤清正が作った”熊本城・本丸御殿”です!!

中世に千葉城、隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて
加藤清正がこれを取り込み、現在のような姿の熊本城を築いた。
日本三名城の一つとされ、「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる
石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられ、
一大名の城としては「日本一」であるとの評価がある。


加藤清正公によって創建され、行政の場、生活空間として利用された「熊本城本丸御殿」は、
明治10年の西南戦争で焼失。
平成15年の秋から始まった「本丸御殿大広間」の建築工事は、江戸時代から残る絵図や文献、
古写真、発掘調査を基に進められてきました。大広間(対面所)、数寄屋(茶室)、
大台所等、復元工事も着々と進み、平成20年春の落成を迎え、
本丸御殿創建時の様相を取り戻しました。

この本丸御殿!!清正が豊臣秀吉の子、秀頼の為に建てられた隠れ家だとも言われています。

まさに歴史はロマン本
今回初めて熊本城天守閣に登ってきました。
ナンと眺めのいいことびっくり天下取りした
気分を味わうことが出来ましたグッ

それでは今週はこれまでパー平田でしたハート  


Posted by ふくえん at 23:14Comments(0)平田日記